出てきたもの

今日は一日仕事場の片付け。
まだ半分にもいかない。
ぼちぼちいきます。

片付けていたら
1995年につくった仕事履歴が出てきました。
なんのために作ったのかはもはや覚えていません。

ちょっと転記してみましょう。

1984年 大和銀行を退社。
      11月より編集プロダクション「エディターズハウス」設立
1986年 大西衣料PR紙「セルフニュース」に「行列のできる店」連載
1988年 「ぴあ関西版」に「ショッピングマップ」を連載。
      「セルフニュース」に「おもしろビジネス探訪」連載。
1989年 TKCの「戦略経営者」に経済探訪「ルック関西」連載。
      「セルフニュース」に「流行ってます売れてます」連載。
      関西テレビ「ワイドショーWHO」ブレーン担当。
1990年 「ぴあMOOKS ショッピングマップ」企画編集。
      「月刊SEMBA」に「まんが王国の興亡」連載。
      「ぴあ関西版」に「ワンデイクルーズ」連載。
      「セルフニュース」に「こだわり派ショップ奮戦記」連載。
      大阪早稲田速記秘書専門学校で編集企画の非常勤講師。
      関西テレビ「朝からエイGO!」ブレーン担当。
      KBS京都テレビ「AMAMサラダ」木曜日レギュラー。
1991年 「月刊SEMBA」に「地場産業の町」連載。
      「ぴあ関西版」に「ワールドジャンクション」連載。
      KBS京都テレビ「AMAM830」のゲストコーナー構成。
1992年 「ぴあMOOKS よしもと天国」企画編集。
      タウン誌「パワービーンズ」編集。
1993年 「手塚治虫と路地裏のマンガたち」(筑摩書房)刊行。
      「ぴあMOOKS 鉄腕アトムワールド」を企画編集。
1994年 「手塚治虫タカラヅカ」(筑摩書房)刊行。
      宝塚市手塚治虫記念館の図録を編集。
      「週刊少年ジャンプ」に「手塚治虫・人と作品」6回連載。
      教育情報誌「啓林」に「カムバック鉄腕アトム」3回連載。
      ベル国際ビジネス専門学校で編集企画の非常勤講師。
      就職情報誌「B-ing」で特集ページの企画編集をはじめる。
      宝塚ホテル主催「第1回手塚治虫フォーラム」パネラー。
      NHKテレビ「人間マップ」出演。
1995年 「ぴあMAPホール」の編集担当。
      「ぴあMOOKS 宝塚歌劇ワンダーランド」編集。
      「産経新聞」夕刊に「マルチメディア・時代のクリエーターたち」連載。 
      「啓林」に「路地裏の関西戦後50年」連載。

そんなことがあったかなあ、とか、オーバーじゃないのというのもありますが、おそらく新規の仕事先に出すものだったのでしょう。
90年と94年に記事が多いですね。
このほかに、企業の周年記念冊子や新聞の広告面の記事をたくさん書いています。というより、そっちのほうがメインだったのでした。無記名の仕事は省いたのでしょうかね。