ぴあ休刊のこと

もうすっかり旧聞なのだけど、先月22日、ぴあ(株)が「ぴあ首都圏版」を7月で休刊すると発表した。こっちが新しい仕事でばたばたしていて、すっかりスルーしていたのである。関西版が去年の秋に休刊して、いずれは東京も、と思っていたので特に驚かなかったというのもあるが・・・・・・。
「ぴあ」の仕事は関西版で86年くらいから特集などを単発的にやらせてもらって、「ショッピングMAP」「ワンデイトリップ」などを連載するようになり、「ショッピングMAP」のムック化を経て、92年に「よしもと天国」の編集。93年には「鉄腕アトムワールド」の企画・編集と続いた。編集の仕事はこの2冊で安定した。95年に「宝塚歌劇ワンダーランド」を編集したあたりから、毛色の変わった本をつくる事務所、というふうになって、この流れが、ひゅーじょんの「ある日の手塚治虫」や立風の「未発掘の玉手箱・手塚治虫」につながり、手塚治虫記念館の展示解説と図録の仕事にもつながった。つまり、ぴあなくして編集屋としての今の自分はない、と言っても過言ではない。(ライター業の恩人は「月刊SEMBA」と広瀬編集長だが・・・)
東京に出てからは「ぴあMAPホール」の編集をしばらく引き受けて、2001年の「MAPホール」が最後の仕事になった。半蔵門の本社に毎日のように通っていたのが昨日のことのようだ。
情報誌の仕事は、駆け出しのフリー編集者兼ライターにとってはいい勉強の場だったし、生活基盤の確保にもつながっていた。取材などで人脈作りにも役立った。とくに関西にいると、情報誌で腕を磨くか、企業や学校のパンフレットをつくっている編集プロダクションに入るくらいしか道がなかったから、情報誌がどんどん姿を消していくことが、若いクリエーターさんたちの芽を摘むことにならないか、老婆心ながら心配している。
どんよりした天気で、どうも風邪っぽいので家で養生。とは言いながら「せこむらいふ」の原稿を書いている。
気分転換に買い物に出て、千葉のタケノコなど買う。今夜はタケノコご飯。