米團治の「地獄八景亡者戯」@行徳文化ホールI&I

1時半過ぎに家を出て駅の向こうにある行徳文化ーホールI&Iまで。
桂米團治独演会を聴く。
600人ほど収容の小さなホールで、一人芝居や室内楽、落語にはちょうどよい規模。
ただ、二階から張出し舞台が見にくい構造なので
前に小朝師匠の独演会があったときは高座を大きく後ろにさげて顰蹙を買った。
今回は張出し舞台の上に台を据えていたが、これはいかがなものか?
演者もやりにくそうだし、1階の前のほうのお客から手元が見にくくなる。
今回は1列目22番だったのでよけいに気になった。


開口一番は佐ん吉の「田楽食い」。
登場人物の名前を何度か間違えたのと描きわけができていないのが気になる。もう少し登場人物の少ない噺を選ぶべきだった。
続いて紅雀で「いらち車」。もう少し落ち着くとよくなる。後半は動きもあって、なかなかいい出来だった。
で、米團治「青菜」。
生まれついての華がある。明るい。良い男で舞台栄えがする。天性のものは認めざるを得ないが、相変わらず演じわけが苦手だ。間がとれていないこともあって、旦那と植木屋にめりはりがないのだ。旦那はいくつくらいなのか?奥方は?植木屋は? そういうことが考えられていない。とちりも多い。米團治になって初めて聴く高座だが、小米朝時代からの悪い癖が顔を出す。噺の途中で素に戻ってしまうのだ。
中入り後、「地獄八景」。噺を覚えて語るのに手一杯、というかんじ。まくらでダイオウの説明を入れようとしたはずなのだが、うやむやになってしまった。無駄なくすぐりが多くて、そのつど素が出てしまう。
これが上方落語だ、と千葉の人たちに思われるのはつらいなあ。吉朝師匠はうまかったなあ、とつくづく思う。
気がつけば米團治も51歳。米朝師匠の50代は、名人の名をほしいままにしたものだが・・・・。

会場は満員。笑いも多かった。米團治が嫌いなわけではない。もうちょっとがんばってほしいな、ということ。