金子由香利リサイタル@習志野文化ホール

新書の原稿にかかる。
途中、秋田ATC関連の再校。
昼は「炭小屋」のランチ。量が多過ぎた。
石川フミヤスさん、秋田書店大西さん、ご近所の三味線職人・阪本さんから電話。4時に産経新聞の平松さん来訪。雪組水夏希の退団発表で昨日から上京中だったのだ。今晩は「冬のライオン」を観るのだとか。
こちらは5時に仕事場を出て津田沼まで。6時半から習志野文化ホールで金子由香利リサイタル「時はすぎてゆく」。30年続いたコンサートツアーのファイナルである。30年前と言えばあたしもまだ25歳。体重55キロの時代である。そういう時代もあったのさ。家のものは「詐欺」というけどさ。
金子由香利のシャンソンを知ったのは25年前。ファンのみなさんからみたらヒヨッコだ。まだ動き出したばかりの我が事務所に現れた恩人・藤川さんにテープを借りたのがはじめてであった。今では一番好きなシャンソンになった「桜んぼの実る頃」が入っていたので、おそらく82年のパリ録音「巴里の屋根の下」だと思うのだけど……。藤川さんは金子由香利に憧れ、コンサートで出会った人形作家の作品を世に紹介するのだ、と言っていたのだった。才能ある人を応援すると言って「バッカーズ・クラブ」をつくり、「真夏の夜の音楽会」を企画していた。巻き込まれるようにして、会報「バッカーズ通信」の編集を手伝ううちに、「月刊SEMBA」との関係が生まれていったわけで、南区大宝寺町西之丁からはじまった25年のスタートでもあったわけだ。そのあたりのいきさつは以前にhttp://www.geocities.jp/lump1223/amemura1.htmlで途中まで書いている。
さて、金子さんは去年より少し声が出ていないようだったが、そこは表現力で見事にカヴァーしていたのだった。アコーデオン弾きに惚れた娼婦の悲しみを歌った「アコーデオン弾き」や、貧しく若い恋人たちの思い出を歌う「ラボエーム」には今年も泣いた。スロースターターなのだろうな。2部やアンコールがとても良かったと思う。ああそうだ。「聞かせてよ愛の言葉を」は「月刊SEMBA」の廣瀬編集長の愛唱曲だったのだ。シャンソンを聴いていると、いろいろ昔のことを思い出してしまうものさ。

いつ帰って来るの?銀巴里ライブ

いつ帰って来るの?銀巴里ライブ

金子由香利の中で一番好きなアルバム。今はなき「銀巴里」での1977年のライブ録音である。77年と言えばあたしは22歳。家のものと出会った年である。……、というのは置いといて、客席との一体感が素晴らしい録音である。声は若くて艶があるのだけど、「アコーデオン弾き」は今のほうが劇的かな。「再会」の解釈はこの頃のほうが好きだな。愛した人と一瞬の再会した女心が可愛く悲しい。とにかく聴いてみて。