小杉なんぎさんからの電話

taihouji212010-03-11

「BJ」アンソロジーの問題はなんとか解決。”火事場の馬鹿力”であったやも知れぬ。
解説を書き始めたところで、川村さんから横山光輝の復刻の件で電話。
受話器をおいたとたんに入った電話が、なんとまあ大阪の小杉なんぎさんからであった。おそらく10年ぶり……。失業だの再婚だのいろいいろあったようだが声に張りがあるので安心した。そうそう、おじいちゃんになったんだそうな。
用件は、毎日新聞でお世話になったYさんが、東京転勤なので連絡先を教えて良いか、という内容。もちろんOKである。
あたしが大阪にいた時分の小杉さんはたいへんな売れっ子だった。出会ったのは、お互いにまだ30代だったと思うのだが、そのころから小杉さんは新梅田食道街のオーストラリアスタイルのスタンドバーの雇われマスターという仕事のほかに、マンガ家兼モノカキとしても活躍していくつか連載を持っていた。そのうちに「大阪新聞」や「夕刊フジ」や「ぴあ」や「フロムA」でもマンガやエッセイを書き、「モーニング」でも連載を始めた。個展やイベントなども企画していた。小杉敦里のペンネームでは『バッティングセンターで球を見送っている』という句集も出した。日々ライターとして雑誌の取材ものやパンフレットのテキストを書いたり、情報系MOOKの編集をしていたあたしとしては、ちょっとうらやましいような存在だったのである。こちらが東京に仕事場を移してからもしばらくは、出張のついでなどに梅田の店に寄っていたのだが、ある日店のドアを開けると小杉さんの姿がなかった。後日常連さんに聞いたのは、モノカキの仕事も店も辞めて、町工場で働いている、ということだった。その少し前に、青年コミック誌の中吊りで小杉さんの新連載が始まるのを知ったばかりだったので、おどろいた。それからずっと音信がなかった、ことになる。最近はまた書き始めていて、もうちょっとで決まりそうな企画もあったのだという。10年のブランクは厳しいかも知れないが、ぜひがんばってもらいたいものだ。写真は、96年に取材したときの小杉さん。このあと以下の本を出版した。

バッティングセンターで球を見送っている

バッティングセンターで球を見送っている

昼は「めんや」。

「BJ」アンソロジーのもくじと解説を完成させて、明日は新書の原稿だ!