権太楼独演会ほか

taihouji212010-04-30

午前中は原宿の「ソーンツリーギャラリー」まで「MAGIC BOYS」の写真展を観にいく。道に迷った影響で、あまりゆっくりできなかった。文字が小さすぎて案内状の地図の文字が見えないのだ。歳だねえ。
昼は「きなりや」で今年初冷やし中華
隣の古本屋「沢田書店」で呉さん初の本格マンガ評論「現代マンガの全体像」(情報センター出版局)の初版発見。80年代に入ってようやく確立されてきたマンガ評論のひとつの完成型であった。1986年発行なので、まだ40才の呉さんが著者近影で笑っている。ひげを生やしていないし、若い。当たり前か……。文庫は持っているのだけど笑顔に釣られて買った。

現代マンガの全体像 (双葉文庫―POCHE FUTABA)

現代マンガの全体像 (双葉文庫―POCHE FUTABA)

本の雑誌」のために電子書籍について、「まんが王国の興亡」を事例に書く。さっき送ったところ。
新書の原稿はほんの少し。
芦辺先生の新刊「綺想宮殺人事件」届く。芦辺先生にとっては40冊目の単行本だとか。このパワーにあやかりたし。
綺想宮殺人事件

綺想宮殺人事件

夜は紀伊國屋ホールまで権太楼独演会を聴きに行く。
火焔太鼓、居残り佐平次。本日の目玉は居残り佐平次だった。これは難しい噺だ。主人公は通常の倫理観からすれば悪人なのである。悪人である佐平次を聴き手が好きになって、「なるほどこんな奴も居るんだねえ」と思わないとうまくいかない。一方で、演者にとっては自分のキャラクター像を造形するという魅力ある噺だ。小さん、談志、小三治とずいぶんいろいろな佐平次を聴いてきたけど、一番好きだったのが志ん朝の佐平次。これは天性のもので、明るく洒脱で、いかにも江戸の遊び人の風があった。で、権太楼はというと「水」のような佐平次。状況に合わせて水のように自在に変化してその環境に適応してしまう。これが見事というしかない演じ方なのだ。いかにもつくったという無理がない。記憶に残る佐平次であった、と思う。